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麻布競馬場「独身の女王」 vol.4【web連載小説】

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CLASSY.

仕事も恋愛も人生の踊り場にいる30代。惑いの世代の揺れ動く心を旬の作家たちが描くアンソロジーを、CLASSY.ONLINE限定で毎週水曜に公開します。第二回は麻布競馬場さんの『独身の女王』

これまでのあらすじ

都内で働く独身の”私”は、一人暮らしの自分のためにベッドのマットレス購入を検討中、崇拝していたインフルエンサーの倉田真季(くらたまき)の結婚を知り愕然とする。彼女は「独身のカリスマ」として知られ、愛用するネックレス(通称「独身ネックレス」)が流行するなど、社会現象になる存在だった。翌週、大学時代の友人である祐子(ゆうこ)とランチをしたとき、話の流れでマッチングアプリに登録。すると大学時代の同級生である松島(まつしま)とマッチングが成立し…。

《渋谷のメガベンチャーで働いてます》

そんな、シンプルな自己紹介とスーツを着た写真だけが載せられたプロフィールを、私はアプリの中で偶然発見して、初めて自分からいいねを送った。

他の人たちが堂々と高年収を記載し、それだけでは飽き足らないのか、所有している高級外車や泊まったことのある高級ホテル、店主が特徴的なポーズで握りを手渡してくる高級寿司店の写真などもプロフィールに載せがちなあのアプリの中では、彼のプロフィールはひどく慎ましく、寂しすぎるようにも見えた。プロフィールの一文を読む限り、まだ新卒で入った会社で働いているようだし、あの会社で順当に昇格を続けているのだとしたら、それなりに派手な暮らしができるだけの給料を貰っているはずだけど。

「最近、どうしてるの? ていうか、すごい久しぶりじゃない? 新卒から同じ会社で働いてるの? 忙しい? 営業やってるんだっけ?」

それで私は、まるで面接でもするみたいに松島に質問を浴びせてしまった。もう何年も会っていない彼のことを少しでも知りたかったし、ゼミ同期の中でも私だけが彼に再会できた奇跡の価値を、存分に噛み締めたかったのだ。

白状するが、私は当時、松島のことが好きだった。そりゃ、身近にそんな完璧な人間がいて、ゼミのために週に何日も顔を突き合わせていたら、そうなるのは当然だろう。とはいえ、彼に告白したこともないし、祐子を含む周囲の人に恋の成就を手伝ってもらおうとその好意について相談したこともなかったが、松島当人はその気持ちに気付いていたかもしれない。だから、彼がいいねを送り返してくれて、無事にマッチしたときは飛び上がるほどに嬉しかった。

そして、その気持ちの根底にあったのは、松島の「完璧さ」への、未だ消えることのない憧れだったのだろう。彼とともに過ごしたゼミでの2年間のせいなのか、社会人になってからというもの、かつて怠惰だった私はまるで人が変わったように、自分の人生と暮らしを完璧なものにしようと試みるようになった。成果や昇進のために深夜残業を厭わず、住環境や健康のために支出を厭わなかった。よく働き、よくお金を遣った。絶え間ない努力によって、収入と支出のサイクルをぐるぐる回すその姿勢は、会社の後輩から「なんか昭和というか、バブル世代みたいですよね。私には真似できない」と冗談半分で指摘されたこともあった。ワークライフバランスみたいな言葉が当たり前に流通するようになった今では、私が追い求めるような「完璧」はもう古いのかもしれないが、しかし私にとっては、そんな「完璧」さへの憧れは、松島にまつわる記憶の中で少しも色褪せることなく、今でも鮮やかに輝いていた。

もちろん、彼とはもう長らく会っていなかったし、彼の近況についても何も聞いていなかった。彼への憧れの気持ちは、昔のような好意のままではなくなっているかもしれない。それでも、私は今日の松島との再会に、過大な期待を持ってしまっていた。

「しかし、学生の頃のだらしない姿が思い出せないくらい、すっかりバリキャリ女子になっちゃったね。松島が見たらビックリするんじゃない?」

この間の、祐子の言葉が蘇る。そうだ、松島に憧れた私は、ようやく松島のパートナーに相応しい人間になれたのだ。だからこそ、今日こうやって私たちは再会することができたのだ。もしかすると、今日をきっかけに松島と付き合うことになるかもしれない。そうだとしたら、これまで私が独身でいたのは、彼と再会するための意味ある時間だったということになる。そうだとすれば、私の人生にとって、もう倉田真季は不要だ。惨めな独身でいることを彼女に慰めてもらう必要はもうないし、彼女がそうしたように、これからは私も結婚して幸せになればいい。そうなればマットレスのサイズに悩むこともない。万事解決だ! ここ数週間、私を苦しめてきたあらゆる悩みは、松島の登場によってすべて解決されるのだ。そうに違いない……。

私の現実逃避じみた考えは、もう自分ではコントロールできないくらい加速してしまっていた。

「うーん。そうだね、転職はしてないし、仕事はまぁ、それなりっていうか、普通に営業やって、普通の成績で、普通に評価されてるって感じ」

それが謙遜なのか、それとも実態なのか読み取れなかったが、松島の回答に対して、少なくとも私はどこか不満を感じた。私が憧れていた松島は、そんな気弱なことを言わない。そんな、完璧ではない人間では困る――そんな失望感にも似た感情が、私の心を支配しつつあった。

彼が今日までゼミの集まりを避けていた理由は誰も知らないままだし、私だって他の同期たちと同様、彼ともう何年も会っていなかった。その松島を、私はテーブルの向かいからまじまじと見つめる。年齢を感じさせないどころか、学生の頃とほとんど変わっていないように見える松島の唯一の変化といえば、その目だろう。活気と才気、そしてそれらを有する自分自身に対する自信に満ち溢れていた目は、まるで草食動物のように優しく、穏やかなものになっていた。この10年と少しの間に、彼にいったいどんなことが起きて、それが彼をどんなふうに変えてしまったのだろうか?

「……会社、やめようと思うんだ」

そんな一言に驚いて、正面に座る発言の主を見ると、松島は私の左上あたりの虚空をぼんやりと眺めている。そしてそのまま、私が知らない彼の十数年について語り始めた。

vol.4に続く

イラスト/日菜乃 編集/前田章子

麻布競馬場(あざぶけいばじょう)

1991年生まれ。会社員。覆面作家として投稿したX(旧Twitter)の小説が話題に。2022年9月に自らの投稿をまとめた短編集『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』で小説家デビュー。Amazonの文芸作品の売上ランキングで1位を取得する。2024年『令和元年の人生ゲーム』で第171回直木三十五賞候補に初ノミネート。


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